震災で生まれた縁で、広野町に移住を決めました

騎西のパイラ整体院 池谷 昭男さん

 埼玉県加須市出身。自身の腰痛をきっかけに整体、カイロプラクティックを学ぶ。双葉町の町民が避難した加須市の騎西高校でボランティアを行ったことから福島に心を寄せ、2024年7月、広野町に移住。「騎西のパイラ整体院」を開院。

移住体験ツアーへの参加をきっかけに移住

広野町に移住したのは、一泊二日の移住体験ツアーに参加したことがきっかけです。東日本大震災が起きた当時、住んでいた埼玉県加須市で避難所のボランティアをしました。そのときの思いがあり、2024年3月の体験ツアーに申し込みました。移住された方のお話や、広野暮らし相談窓口-りんくひろの-の方の前向きなお話を聞いて、とても充実した時間を過ごすことができました。そして迷うことなく「移住しよう」と決めました。

2度目に広野町を訪れたのは2か月後の5月です。移り住むための物件を探しに来ました。広野暮らし相談窓口-りんくひろの-の方や不動産屋さんと相談し、案内していただいたのが今の整体院兼住居です。民家だった建物ですが、駐車スペースが広く、緑に囲まれた環境で、「ここがいいです」と即決しました。

整体とカイロプラクティックを学び、整体院を開業

私は「日本一暑い」と言われる熊谷市に隣接する加須市騎西町で生まれ育ちました。20代の頃、家業はプロパンガスの配送をしており、重い物を運ぶ仕事で腰を痛めてしまったのです。一時は立っているのも辛いほどでした。その治療のため、父も通っていた整体院に行き始めたのが、私が整体に興味を持ったきっかけです。

私は「日本一暑い」と言われる熊谷市に隣接する加須市騎西町で生まれ育ちました。20代の頃、家業はプロパンガスの配送をしており、重い物を運ぶ仕事で腰を痛めてしまったのです。一時は立っているのも辛いほどでした。その治療のため、父も通っていた整体院に行き始めたのが、私が整体に興味を持ったきっかけです。

避難所となった母校でのボランティア活動

東日本大震災が起きたのは、ボディワークアカデミーに通いながら、地元の温浴施設の手揉み処で働き始めた頃です。双葉町の方たちが加須市に避難されていて、私の母校である騎西高校でも多くの方が避難生活を送られていました。

私は整体の経験を生かして、母校で避難生活を送る皆さんに、体の緊張をほぐすことで、少しでも元気になってほしいと考えました。しかし、そのようなボランティアは整体の団体や協会単位で行うことになっていて、個人で行っても難しいことがわかりました。そのときのはがゆい思いが今回の移住につながっています。

避難所では支援物資の整理や運搬、畳を運ぶといった力仕事を主に協力しました。騎西高校に双葉町の方がいらっしゃったのは4〜5年くらいだったと思います。その間、ボランティアの募集があれば都度出向き、必要とされる仕事に協力しました。「早く双葉に戻りたい」という町民の方の言葉は今も心に残っています。

「ようやく広野に行ける」との思いを胸にワゴン車で引っ越し

移住体験ツアーを経て、5月には物件も決まり、賃貸の契約を済ませました。ところが、移住の準備を進める中、持病の狭心症が再発。6月にカテーテル手術をしたため、予定よりも引っ越しが遅れてしまいました。手術は無事に終わり、今は仕事や生活に支障ありません。7月上旬、レンタカーのワゴン車に荷物を積んで引っ越してきました。280キロの道のりを運転しながら思ったのは、「ようやく広野に行ける」ということでした。期待が4分の1、楽しみが4分の3で不安はありませんでした。

不安がなかったのは、移住体験ツアーで移住された方のお話を実際に聞くことができたからです。皆さん、笑顔で楽しそうに話してくれました。その姿を見て安心することができました。私も機会があったら、移住体験ツアーで自分の移住体験を伝えたいと思っています。

林に囲まれた整体院をオープン。思いが形になりました

引っ越しから間もない7月15日、「騎西のパイラ整体院」をオープンしました。「パイラ」というのは、私が新卒で入社した宮城県(旧鳴瀬町)東松島市のホテルに因んだ名前です。松島を英語に直訳するとパインアイランドとなり、「パイラ」はそこからきています。松島も私にとっては故郷と言える場所で、二つの故郷を院名にしました。

開院にあたっては、多世代交流スペース「ぷらっとあっと」の青木裕介さんの協力を得て、チラシ広告を作りました。町内の店舗に置いていただいたほか、新聞折込、ポスティングを行いました。青木さんはSNSでも紹介してくださり、チラシやSNSを見た方が少しずつ、当院を訪れてくれるようになりました。親子でいらっしゃる方や、一日置きに通ってくださる方もいます。林に囲まれ、空気の流れもよくて、この環境はお客様にも好評です。

気候が良く、自然豊かな広野町の暮らしが気に入っています

埼玉で住んでいた家は、騎西の銀座通りと言われ、目の前にドラッグストアがあるような町の中でした。広野は緑が多く、夜も静かで、環境はかなり変わりましたね。でも買い物は特に不便を感じていません。役場近くのスーパーや、車で少し行くとドラッグストアなどもあるので、気分転換を兼ねて買い物に出かけています。もし不便さを感じることがあっても、それはそれで楽しみたいですね。

私は蕎麦やラーメンが好きなのですが、おいしいお蕎麦屋さんが近隣にあり、食べに行くのを楽しみにしています。朝と昼、夕方には時間を告げるチャイムがすぐ近くの防災無線のスピーカーから流れるのですが、音の大きさに最初は驚きました。朝はそれで目が覚めてしまったりして。ただ、チャイムは童謡のメロディになっていて、特に夕方の「とんぼのめがね」には癒されています。

この取材を受けた週に、双葉町在住の方から依頼を頂けました。双葉町の方の力にもなりたいという希望を叶えて頂けたのです。次回の予約も頂戴しました。

仕事を通して、地域を笑顔に、元気にするお手伝いをしたい

私はお客様に、お名前を「笑い文字」で書いたカードを次回の予約票としてお渡ししています。笑い文字を見て笑顔になってほしいとの思いからです。母校でのボランティア活動でできなかったことを、今ようやくできるようになりました。これから少しずつ地域になじんでいき、広野町や双葉町を含めた双葉郡の皆さんが元気に毎日を送れるようなお手伝いをしていきたいと思っています。

お身体で辛い想いをされている皆さんへ

院では、身体が辛くならないようになる、予防の施術を心がけています。勿論、辛くなったお身体の施術は大事ですが、それは治療かも知れません。その治療を受けることがないよう、身体を予防することも大事です。身体が辛い方、予防したい方のお力にもなりたいです。